高齢者の交通事故で考えること
札幌市内で、高齢者が運転する車での事故が続いています。
下の息子が高校生の頃、
お友達が、高齢者の運転する車にはねられて亡くなりました。
夜9時過ぎ、高校からの帰り道だったそうです。
朝のニュースで久しぶりに名前を聞いてショックでした。
「お友達にはたくさんお別れに来て欲しい」というご両親の意向で、
小学校から高校までたくさんのお友達が来ていたというお通夜。
初めて手にした数珠、学ランで帰ってきた息子は、
目を真っ赤にしていました。
お別れしてきたんだよね。傷だらけでさ。
小さい頃から車が大好きで、
当然免許を取るんだろうと思っていたのに、
大学生になった今も「運転、怖いよね」と言ってまだ取りに行こうとしていません。
高齢者の事故のニュースを聞くたびに、あの事故のことを思い出します。
私のいとこは、若者の無謀運転に巻き込まれて亡くなっています。
決して高齢者だけが悪いのではないのもわかっています。
でも、運転に必要な能力が衰えているのに、
自分の能力を過信して運転するのはなぜなんでしょう。
健康診断にはあれだけ敏感な日本人なのに。
そして、道のど真ん中を信号もないのに渡る高齢者、
事故にあいに行っているようなものだと思うのですが・・
事故は、あっちが悪い、いや、そっちが悪いではなくなりません。
もう、あんな悲しい事故がないことを祈るばかりです。
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